於万(         おまん)(はか)(宝篋印塔(ほうきょういんとう))

昔から「於万の墓」「ホットサン」と村人から呼ばれてきたこの宝篋印塔(陀羅尼経を収めた供養塔・墓碑塔)にはさまざまな伝承があるが、かつての西坂部村領主丹羽氏との関係が深いと思われる。

明治21年(1888年)この土地の所有者堀田家から出された土地確認の届出書には
「旧地領丹羽平右衛門尉正長ノ実母、堀田正信ノ女(於万の方)、承応3甲午年(1654年)4月亡、後33回忌ニ当リテ丹羽家臣石黒七兵衛之ヲ課シテ此ノ宝篋印塔一躰ヲ建立シ法明院月初榮三大姉並ビニ実家堀田家先祖累代六親眷族等ノ菩提トムラウ。」
とある。また堀田家には、於万の方と二代目領主丹羽平右衛門正長の位牌、陀羅尼経2巻が伝わっている。

これらのことから、この宝篋印塔は、江戸時代この地を治めた旗本丹羽家の二代目領主平右衛門正長(寛文元辛丑年(1661)11月13日亡)の実母に当たる堀田正信の娘・於万の供養のために建てられたものと思われる。

所在地           西坂部町字御館野2125番地 

                      【宝篋印塔の文字】

                                東面    宝篋印塔

           西面    法明院月初榮三大姉 (於万の方の法名)

          南面    貞享三丙寅年四月十日敬白 (1686年)

      北面    武州金城鎌倉・施主智峰元高造建 

( 現 東京都千代田区内神田二丁目・施主 石黒七兵衛の法名 造建)

* 台石に文字あれど不詳