於万の墓(宝篋印塔)
昔から「於万の墓」「ホットサン」と村人から呼ばれてきたこの宝篋印塔(陀羅尼経を収めた供養塔・墓碑塔)にはさまざまな伝承があるが、かつての西坂部村領主丹羽氏との関係が深いと思われる。 明治21年(1888年)この土地の所有者堀田家から出された土地確認の届出書には これらのことから、この宝篋印塔は、江戸時代この地を治めた旗本丹羽家の二代目領主平右衛門正長(寛文元辛丑年(1661年)11月13日亡)の実母に当たる堀田正信の娘・於万の供養のために建てられたものと思われる。 所在地 西坂部町字御館野2125番地
【宝篋印塔の文字】 西面 法明院月初榮三大姉 (於万の方の法名) 南面 貞享三丙寅年四月十日敬白 (1686年) 北面 武州金城鎌倉・施主智峰元高造建 ( 現 東京都千代田区内神田二丁目・施主 石黒七兵衛の法名 造建) * 台石に文字あれど不詳 |
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