鏡淵(かがみがふち)神社(じんじゃ)天白社(てんぱくしゃ) 

  昔から「天白さん」の呼称で親しまれてきた「鏡淵神社」が、かつてこの南の水田一帯にあった。
「天白社」は、川の近辺や橋の袂に祀られることが多く、水の神・農耕の神ともいわれていた。また「天白」とは、神に供える
(はく)」(絹織物(きぬおりもの)のことで、祭神は麻積の神(機織の神)という説もあり、伊勢の御師(祈祷師)がお札を配り、神楽歌を歌って各地に天白信仰を広めたといわれている。

この地区の伝説では、「その昔、(やまと)(ひめ)(のみこと)が天照大神を奉り、桑名郡野代宮から鈴鹿(すずか)河曲宮(かわのみや)に遷幸した折、小杉から船で海蔵川を遡る途中、ここで川の中に鏡を落とされた。その鏡を拾い上げた後もその場所が光り輝いていたので、『鏡淵』といった。」と伝わっている。

  明治41年(1908年)国の一村一社の方針を受け、「鏡淵神社」は「延喜式内江田神社」(西坂部町字堂地3653)に合祀される。海蔵川右岸の流れの中には、白い大きな岩盤があり、その端は深い淵になっており「鏡淵」と呼ばれていたが、平成11年の海蔵川河川改修により「鏡淵」もなくな
った。

  現在では、江田神社境内に「鏡淵神社」の碑が残されているのみである。


       鏡淵神社(無格社)   西坂部字垣内4717                                                              

             【祭神  大日(おおひ)霎貴(るめむちの)(みこと)(天照大神)】