八幡(はちまん)神社跡(じんじゃあと)

明治41年(1908年)国の一村一社の方針により、三重村内の他の神社とともに延喜式内江田神社に合祀されるまで、松や樫の大木の茂みに囲まれた八幡神社がここに鎮座していた。また、天保11年(1840年)に寄進された燈籠が当地と集会所前に残されていたが、海蔵川の河川改修及び代官橋の架け替え工事の完成を記念して平成18年(2006年)3月代官橋北詰に移設された。

一般に八幡神は、応神天皇(誉田別尊)であるとされている。伝説的な存在である応神天皇は、神功皇后が神懸かりして産まれた神の御子であるということから、王神が応神に変じたといわれており、武神、文教の神、源氏の守護神、水の神、鍛冶の神などと崇められている。

『三重村考古誌考』には、「八幡社之儀ハ往古ハ此村山之平居民川島一家祭之ト云伝ヘ後ニ一族次第ニ繁茂シ今ハ山之平一族居民共ニ祭之」とあり、川島家( 旧庄屋 )が氏神として祀った八幡社が、山之平の氏神として広く尊崇を集めていった経緯がうかがわれる。

       八幡社 (無格社)   西坂部町字八幡851

              【祭神  誉田別天皇(ほんだわけのすめらみこと)(応神天皇)】