海蔵川(かいぞうがわ)二級(にきゅう)河川(かせん)) 

海蔵川は、鈴鹿山脈の麓 菰野町千種の千種城跡の北を水源として、池底・大剛原・諏訪・川北・下村など菰野町の中ほどを通り、四日市市に入り上海老町・下海老町を経て西坂部町へ流れる。

  下海老町の東端(字赤坂)で2級河川の竹谷川が合流し、西坂部町(川向の西端)では大日山や御池湧水を集めた江田川が流れ込み、さらに、東坂部町の東端(吹ノ尻橋)では、城山からの矢の根川が、その下流中倉橋の上には山之一色からの部田川が合流する。その後、小杉・阿倉川・浜の一色を経て、中部電力四日市火力発電所を右に見て伊勢湾に注ぐ、流長

19.41km
流域面積39.8kuの二級河川である。  

古くは、水源の地名から上流では川原妻川の名で、下流では下海老原川・羽津川など流域の村の名を付けて呼ばれていたようである。海蔵川の名称の起こりは、昔河口付近は海で、漁民が海草などを蓄える横穴を海蔵(アクラ)と呼んでいた。500年程前までは海蔵川(アクラガワ)と書いたが、のちに阿倉川(アクラガワ)の字を当てて左岸の地名とし、川の名は音読みして海蔵川(カイゾウガワ)となったと言われている。(海蔵小学校百年誌)

江戸初期の慶安3年(1650)庚寅年には,「寅の洪水」といわれた大洪水もあり、天明3年(1783年)には、流域の庄屋が揃って奉行所へ治水の嘆願をしている。近くは、昭和40年代まで大雨で幾度となく堤防が決壊し、その都度多くの被害が出た。

  また、昭和30年ごろまでは、この辺りも下流の海蔵緑地の桜堤に劣らない桜並木があり、春は花見、夏は螢狩りや魚釣りなど、住民の憩いの場でもあった。今回の河川改修では、堤防や橋が整備され、安全な河川となったが、今後は、わたしたちの力で、きれいな流れと川辺の自然を大切に守り、かつてのような憩いの場にしていきたいものである。