忠魂碑 平和之礎
忠魂碑は、村の靖国とも呼ばれ、日清(現中国)・日露(現ロシア)戦争以後の出征兵士の英霊を祀る石碑である。全国各地に作られた忠魂碑の多くは、在郷軍人会の組織がその建設母体となっていた。在郷軍人会は、日露戦争前後から各地に組織され、その目的は、予備役・後備役や補充兵役の組織化、軍事知識の普及、 国家観念の養成を担うものであった。明治43年(1910年)には陸軍省の指導により全国組織となり、昭和11年(1936年)には陸海軍省下の公的組織となった。 忠魂碑は、戦前の軍国主義と深く係った経緯もあって、今まで地域の歴史としてもあまり触れられなかった。しかし、かつては、この地区からも多くの若者が出征し、祖国を思い、家族を案じつつ戦場に散り、戦禍に倒れあるいは戦後遠い異境の地で多くの方が亡くなったのは歴然たる事実である。今日の平和と繁栄はこのかけがえのない命を失った多くの方々の尊い犠牲と、国民のたゆまぬ努力の上に築かれている。 この悲惨な戦争の教訓を風化させないためにも忠魂碑を身近な史跡として後世に語り継ぎ、平和への誓いも新たに、全世界から真に信頼される国民となることを強く望んでやまない。 石 碑 所在地 四日市市東坂部町字野中164番地 1 右 : 「従軍紀念碑」 日清戦争従軍者 外征23名 内戍9名 病死1柱 (向かって) 明治29年10月建立 三重村尚武会 2 中央: 「平和之礎」 大東亜戦争(第二次世界大戦)の戦没者 163柱 昭和28年4月建立 |
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