生桑(いくわ)長松(ながまつ)神社(じんじゃ)

生桑の地名の起源を字桑花の地に見る説もあるが『多度神宮寺縁起並資材帳』(801年)に、三重郡(みえぐん)六条(ろくじょう)(いつ)鍬柄里(くわえり)の地名の記載があることから、この五鍬が生桑に転じたものと思われる。

 地名の由来は、川や用水路の筋に井関が多く所在していたことによるとされている。生桑神社の縁起は定かでないが、元は西生桑村の産土神が須佐之男命を祀る牛頭天王社となったものと思われる。天保9年(1838年)東西の生桑村の合村により、東生桑村(生桑町字神田886)に祭られていた長松神社(天照皇大神を祀る神明社)を現在地に遷した。明治3年(1870年)には、牛頭天王社を生桑神社と改称した明治40年には、国の一村一社の方針を受け、長松神社及び境内社石出社を生桑神社に合祀して、生桑長松 神社となる。

古くから伝わっている正月2日の早暁に行われる鏡餅神事は、この神社特有の行事である。この鏡餠は、円柱形のケーキのような鏡餠二重ねの上に四角い餠を載せ、さらに鳥が羽を広げたような形の餠を交差させて重ねる特異な姿をしており、神殿に運ばれると太鼓の合図によって、若者が奪い合うという勇壮な神事である。このような鏡餅を供える神事は市内には例がなく、滋賀県東部に分布するオコナイという神事に多くの類似点がある。 

この鏡餅神事は、平成14年(2002年)8月29日四日市市の無形文化財に指定された。