長松(ながまつ)神社跡(じんじゃあと) 

 生桑の地名は『多度(たど)宮寺(じんぐうじ)伽藍(がらん)縁起(えんぎ)(ならびに)資材帳(しざいちょう)(801年)の三重(みえ)郡六( ぐんろく)(じょう)(いつ)鍬柄里(くわえり)に起源をみることができる。

   爾来、江戸後期まで生桑は、東生桑村・西生桑村として別れていた。天保9年(1838年)東西の生桑村の合村により、東生桑村のこの地に祀られていた長松神社を、西生桑村の生桑神社に合祀し、生桑長松神社(生桑町2024番地)と改称した。


  現在この地には長松神社跡の碑が残るだけであるが、伊勢神宮の
神鳳抄(じんぽうしょう)に長松御厨の記載があり 今も神田の字名が残ることから、天照大神を祀る神明社であったと思われる。

                長松神社     生桑町字神田886         

                               【祭神 大日霎貴命(おおひるめむちのみこと)(天照大神)】